まとめ @kenkyobaka
南円堂。江戸時代の再建です。南円堂の前には右近の橘があります。当然左近は…桜では無く藤でした…藤原家の氏寺ですから、当然と言えば当然ですねぇ。#まいまい京都 http://t.co/9lPs9LJvpH https://twitter.com/kyoto_qunequne/status/630204953638731776
南円堂と北円堂。遠近法で北円堂が小さいのでは無く、実際に小さいです。北円堂が鎌倉時代の建物で南円堂は江戸時代の建物。しかし、金堂の再建は今漸く…って事で南円堂の重要性が伺い知る事が出来ます。#まいまい京都 http://t.co/MEasoMlkMd https://twitter.com/kyoto_qunequne/status/630205671586185216
南円堂は江戸時代に再建されましたので、屋根の傾斜など大きく変わって居ます。そこに前向拝が付き、しかも唐破風まで‼︎少し盛込み過ぎ・やっちゃった感があります。#まいまい京都 http://t.co/6omKnZ3eUD https://twitter.com/kyoto_qunequne/status/630206412929404928
南大門跡地。門があれば見晴らしも良い様です。それにしても階段が急!親愛幼稚園の階段の優しさから見ると結構なスパルタ。#まいまい京都 http://t.co/84jFFu2Q3w https://twitter.com/kyoto_qunequne/status/630207018989555713
般若の芝。現在でも薪能を行う様です。この南大門前の広場で興福寺のお坊さんが集まって会議をしていたそうです。多数決で議事が進行していたとか。#まいまい京都 http://t.co/iLyklW1Anh https://twitter.com/kyoto_qunequne/status/630207808688947200
興福寺の五重塔と西金堂。仏殿ですので中にはあまり人が入れません。で、前面の扉を開けて前の庭で法要を行う形だった様です。#まいまい京都 http://t.co/uUvK6vAppX https://twitter.com/kyoto_qunequne/status/630208808774545408
南円堂の重要性を示すスベリ坂。明治時代に作られた様です。スベリ坂下の道標。ここには興福寺の文字がありません。実は南円堂は観音信仰により興福寺とは別に独立して栄えていった様です。#まいまい京都 http://t.co/XhXnbC8uqS https://twitter.com/kyoto_qunequne/status/630209981778780160
三重塔。興福寺の中では最古の建築物です。が、その横に穴門があります。そこが江戸時代の参拝口だった様です。階段の延長線上に道があります…#まいまい京都 http://t.co/Y2c8tg8M0Z https://twitter.com/kyoto_qunequne/status/630210661809680384
穴門のすぐ近くには高札場があります。高札場の前には奈良市の道路元標があります。奈良の道路の基点です。側には巨木もあって良い雰囲気…と思ってたら、なんとこの風景、移動して来たものらしいです。#まいまい京都 http://t.co/n4ZU47Aouv https://twitter.com/kyoto_qunequne/status/630211708254982144
餅飯殿商店街の入口にある奈良県里程元標・旧設置場所。元々は餅飯殿商店街の前が基点になってました。#まいまい京都 http://t.co/8BtTukJcuo https://twitter.com/kyoto_qunequne/status/630212434205130752