まとめ @kenkyobaka
本日の最終地点になるはずだった元興寺塔跡。中に何かがありそうな予感…アフター#まいまい京都 http://t.co/lDkS6ioRSV https://twitter.com/kyoto_qunequne/status/630278214376513536
路地の奥にもしっかり高低差。昭和の薫りのする所で素敵な雰囲気ですアフター#まいまい京都 http://t.co/Nk1pAanhcG https://twitter.com/kyoto_qunequne/status/630278654149275648
【#京都高低差崖会】お盆なのに地図制作。奈良中心部について、平城京復元プラン+現代地形の合成マップ。条坊配置と地形(傾斜変換線)を修正しました。段丘と谷筋が入り組んでます。興福寺~元興寺のエリアは中近世の地形改変が進んでいますね。 http://t.co/n3W3ppNGXA https://twitter.com/chang_ume/status/632421702090096640
総延長約13km、近世奈良町をぐるりと囲んだ「鹿垣」。『奈良町絵図』(元文年間)で詳細に。豊臣期大坂城惣構が約6km、江戸城惣構が約11km。破格の規模です。同時に町方・村方の区分でもあって、惣構のようにも見えてしまいます。 http://t.co/puQXQbLC5h https://twitter.com/chang_ume/status/632806725062557696
『南都神鹿角伐之図』(江戸期)で見る奈良の鹿角切り。奈良奉行所与力の立ち会い。高札場と木戸の位置関係から、絵図に描かれた地点は、東向商店街~三条通りの交差点付近(橋本町)と分かります。橋本町は近世・近代奈良の中心ですね。 http://t.co/oQwe99EJc6 https://twitter.com/chang_ume/status/632808739301535744
近世奈良の風景。『大和名所図会』(江戸後期・寛政3年)を着色アレンジしました。興福寺主要伽藍の焼失(享保2年)を経た風景。境内中心部はすでにこの頃から「公園化」した様子が分かります。南円堂の参道石段が現位置と異なるのも面白い。 http://t.co/tBjyDgHzLG https://twitter.com/chang_ume/status/632812410613579776
木辻町の大門跡。段丘崖のまさに直下です。地形のわかりやすい変異点に位置していました。そして大門から下りた道路は「中街道」(奈良の伝統的南北軸)。色々よくできている! http://t.co/1qvW95yPus https://twitter.com/chang_ume/status/635819896660733952
木辻町外れの旧妓楼(現旅館)。唐破風装飾に魅了される。ここで猛烈な腹痛に襲われてトイレもお借りしました。奈良最大のピンチ。ご主人やさしい。直腸の底から感謝。 http://t.co/kCkmXYH8Ec https://twitter.com/chang_ume/status/635820937791717376
今晩のお風呂は稲妻温泉。脱衣カゴがない、浴槽外周の段差、カラン前の固定式長ベンチなど、京都銭湯との違いにいちいちカルチャーショックでした。楽しかった。 http://t.co/B0YiLj3eqL https://twitter.com/chang_ume/status/635822022690521088
段丘〜低地部をまたぐ「椿井市場」は、内部に高低差がありました。小さく感動。これはタモリさんにもお見せしたかった。 http://t.co/yIT0qamTp1 https://twitter.com/chang_ume/status/635823145622986752